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シニアの今日的映画論

団塊世代のアニメブームの今日【団塊シニアのタレントとシニアの未来】

三丁目の夕日の団塊世代が呼んだアニメブームの今日まで


三丁目の夕日での団塊世代の少年が導いた週間漫画雑誌ブームは1970年代に少し落ち込みましたが

1980年半ば、漫画に目ブームは息を吹き返します。

1985年、漫画産業は再び活気を取り戻し、漫画の市場規模は3260億円に達し、特にレディスコミックが急成長した年です。

『りぼん』は200万部雑誌となり、『週刊少年ジャンプ』は平常号が400万部という数字をたたき出した。

1986年、講談社・集英社・小学館の三社が占める漫画雑誌市場シェアが71.4%に達し、漫画産業の独占携帯が進みました。

特に少年週刊誌は『週刊少年ジャンプ』の一人勝ちとなっていたました



これは『キン肉マン』『キャプテン翼』『北斗の拳』『ドラゴンボール』などなどへの人気作品の交代と、これらの作品のアニメ化の成功でダントツになったのです。

また日本経済新聞社による『マンガ日本経済入門』は200万部を超えるベストセラーとなり、漫画の持つ力が娯楽の分野だけでなく教育分野まで進出。



これまでの専門書などの本による門からより親しみやすく分かりやすい漫画と学習が結びついてきたのでした。

このことにも団塊世代は深くかかわっていると思えます。

彼らは子供時代から、大学卒業までアニメ文化の中にどっぷり使っていて

思考がアニメを通じて始まる文化を形成してしまっていたからだと思います。

その後今日まで、読む文化の中での漫画アニメの位置はますます大きくなってきたといえます。

キン肉マンII世(8)

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三丁目の夕日 団塊世代のアニメブーム【団塊シニアのタレントとシニアの未来】

三丁目の夕日 団塊世代が導いたアニメブーム

団塊世代の小学生時代(一平・淳之介)が火をつけたアニメブームの変遷

週間漫画雑誌とアニメ文化を支えたのは団塊世代だと思います。

1958年以後アニメはどんな発展を遂げたかを見るのも興味深いと思います。
前回60年代のアニメ時代に触れましたので

1970年代団塊世代の学園紛争のころです。

1977年、劇場映画『宇宙戦艦ヤマト』が8月6日-10月28日の上映期間に270万人を動員し、興行収入21億円という空前のヒットを記録、



1978年、漫画単行本・雑誌の総販売金額は1836億円、出版物全体の15%を占めるまでに拡大。

漫画の消費速度が上がり、次々に読み捨てられていくようになっていきます。

1979年、松本零士の『銀河鉄道999』の劇場版映画公開に合わせ、国鉄によりイベント列車が運行されて、

その切符の競争率が70-80倍にも及び、漫画の影響力の大きさが拡大します。

これをきっかけとして漫画とタイアップした企画され、漫画家の活躍の場が広がり、『ヤングジャンプ』が創刊され、創刊号がたちまち売り切れたことが話題となった。

1980漫画ブームは終わり、少年週刊誌の発行部数は前年比-8.6%、少女週刊誌も-7.1%と部数を落とした。

少年週刊誌ではブラック・ジャックが連載を終えたことで『週刊少年チャンピオン』でも部数減になる。

ブラックジャック 第1巻”Black Jack 1”


漫画コミックの苦戦時代が来たのです。

このことにより出版社の編集者が漫画政策に直接タッチするようになり、原作者と漫画作家という分業体制が始まったのです。

とにかくアカ本といわれて一段下の立場だった漫画アニメが出版業界の重要な商売になったのでした。

その読者は巨大なマーケットを形成する団塊世代であったことは間違いない事実でした。

学園紛争に走る学生の手にアニメが握られるという面白い時代になったのです。

マルクスからアニメへの転換、これが70年代から80年前半の状況でした。

この時代のアニメ
タッチ
キャプテン翼〜小学生編
機動戦士ガンダムTHE ORIGIN(15)
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シニアの今日的映画論

三丁目の夕日団塊世代の未来【団塊シニアのタレントとシニアの未来】

三丁目の夕日 団塊世代が見る未来の日本

三丁目の夕日ですごく印象的なシーンがあります。

淳之介は学校で一平や同級生から「ガリベンめ」といわれて作文を取り上げられ

一平がそれを読むシーンが印象的なのです。

そこには、淳之介が描いた未来の日本があり


空中の高速道路を自動車や電車が縦横に走っている想像の世界がありました。

私が鉄腕アトムで見た、手塚治の巣像の世界とまったく同じでしたが・・・


淳之介が空想した作文のアイディアを茶川がパクッテ(盗作)して出版社に送ってしまい、それが雑誌に掲載された出来事です。

茶川が盗作を認め、原稿料を渡そうとするのですが、
そのことを淳之介はとても喜び、掲載されたことを茶川の小説だと尊敬するのです。


鉄腕アトム 手塚治虫/作



昭和30年代、団塊の世代はまだ子供でしたが、私の世代(高校生)より上の世代は具体的に未来の日本を夢見ていたのでした。

1970年(昭和45年)大阪万博が開かれたとき、淳之介の描いた未来は確かな手ごたえで現実のものになりつつありました。

その足音の予言的象徴として三丁目の夕日が描く東京タワーがあったのです。

団塊の世代の一平にも淳之介にも未来の日本の豊かな発展が感じられる幸せが待ち受けているいると感じたのでしょう。

一平も淳之介もこの映画の後日談として語るなら、

この団塊の世代独特の、圧倒的に人数の多い競争に対して

教室も足りない先生も足りない中、むしろ一番学習したのはこの世代の特徴でもありました。

先日、日本の子供の学力低下がはっきりデーターで出ましたが、

この世代はないないづくしの中懸命に学習したのです。

そして職場こそ自分の未来として働き、世界の2番目に経済の豊かな日本を作り上げたのでした。

1960年代になって

1962年には、講談社が週刊少年マガジンと月刊なかよしから、マンガ雑誌の週刊少女フレンドを発刊、

翌63年には、月刊りぼんを出していた集英社が、これを総合雑誌週刊マーガレット

これによって、少女誌も週刊時代に突入するが、少年誌同様のベテランマンガ家だけでなく、

読者の感覚に近い若手を積極的にスポ根企画ものなどに登用し、テレビアニメ路線を拡大した。

すなわち、1968年には、集英社が週刊の少年ジャンプを創刊し、マーガレット同様の若手登用と、徹底した読者アンケートによるサドンデス方式を採り、永井豪や本宮ひろ志などの多くの戦後第二世代マンガ家がテレビアニメに対して雑誌社の主導権を握る。

なかでも、原爆の悲惨さを描いた『はだしのゲン』は、異色作でした。

この世に少年少女は漫画とアニメ文化の真っ只中に入っていきます。

活字より、直接的な漫画アニメでの志向回路が出来上がっていくのです。

三丁目の夕日も原作は漫画ですし、漫画又は劇画の世界から映画化される今日的状況はこの時代に基礎が築かれたといえますね。

アニメは団塊世代が導き、特殊な文化を創造したといえなくもないでしょう。



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三丁目の夕日と週間漫画雑誌【団塊シニアのタレントとシニアの未来】

三丁目の夕日時代に週間漫画雑誌の登場

三丁目の夕日で茶川がなりわいの一部とする少年雑誌の冒険小説

1958年から週間少年雑誌が登場しました。

その頃は、紙芝居屋が全国に五万人を数えていました。

週間単位のテレビの普及とともに、週刊誌が次々と出され、

1959年には、講談社から少年マガジンが、小学館から少年サンデーが、子供向けの週刊誌として登場しました。

しかし、当初は、子供のこづかいで買える価格ではなく、経営的に安定しない。

また、赤本において、すでにまとまったストーリーのマンガが登場していたにもかかわらず、この週刊マンガ雑誌において、紙芝居的な連載形式へ逆行するのです。

すなわち、それは週10枚程度の話を、人気に応じて無限に続けなければならないものであり、逆に人気が無くなればすぐに打ち切りとなる仕方でした。

だから茶川の身分も作家という立場ではありませんでした。

茶川が出版社に前借をを申し出て断られるシーンがありますが、

この当時の少年雑誌の作者達は身分が不安定であったことがわかります。

純文学を目指すこの映画の茶川などのような作家達が子供の夢の世界を書いている状況だったのです。

手塚治も人気漫画家でありましたから、この種の週間雑誌にはそんなに書いていません。

この後の少年漫画雑誌の隆盛はまだわからない時代でもあったのです。

それはともかく団塊世代は週間漫画雑誌で育っていくのです。

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三丁目の夕日 三種の神器【団塊シニアのタレントとシニアの未来】


三丁目の夕日 団塊世代の一平と淳之介

三丁目の夕日から一平と淳之介ら団塊世代の少年時代が日本の前向き時代の出発点になっていたことを当時の三種の神器や遊びから見てみましょう

何よりこの映画がうまいなと思えるのは、冷蔵庫が鈴木オート(一平の家)に来る運びです、

氷を入れる旧式の冷蔵庫、氷屋が入れるまでに氷が融けた冷蔵庫

開けるともらい物の貴重なシュークリームが腐ってしまって、捨てるようにいわれた六子(鈴木オートの従業員)が始めて見た物だからと食べてしまう

食あたり、そんなくだりがあって冷蔵庫がとどく

電気冷蔵庫に顔を入れたり、その冷気を顔に引き込んだりして感動するシーン

いかにもどこにでもあった三種の神器が到着した風景です、

次にテレビが届くシチュエーション

街のほとんどの人が鈴木オートに集まり

まるでお祭り騒ぎの中、プロレスの力道山の空手チョップが映る

団塊世代が電化製品い囲まれる少年時代が訪れ、

力道山を代表とする日本人の自立経済への方向性が訪れた空気が力強さを伝えました。

また、路地での遊びにフラフープがちゃんばらごっこに変わろうとしていました。

多様な娯楽、エンタメがテレビや遊び道具からやってきたと思いました。

そして最後に残る、この下町のコミュニティーの人情、叙情が支えていることを三丁目の夕日は伝えます

この後高度成長経済とともに、このコミュニティー(下町共同体)がすごい勢いで崩壊していきます

それを最も推進するのが、一平たち団塊世代なのですが、

まだこのときは、一平も淳之介も3種の神器の喜びに浸る時代でした。

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団塊シニアへ京都名物

京都大原の志ば漬【団塊シニアのタレントとシニアの未来】

老舗志ば漬け 京都大原三千院の名物 素朴でさっぱりしてます


京都大原は志ば漬の里、志ば漬は、寂光院に隠棲された建礼門院が里人からのお供えの山野菜を漬けたのが始まりとされてるそうです。

老舗志ば漬けと言っても、きれいさを感じるより、農家の漬物そのものの味です。



私の母の里、滋賀の甲賀で日野菜漬けを商っています。

いとこが毎年、100樽くらい作るのですが、お歳暮などに結構人気です。

これも田舎のそのものの味です。

正直言って、毎年味がすこしずつ違っているのが分かるのです。

大原三千院の老舗志ば漬け「志ば久」さんの漬物もそんな感じがします。

でも大手の有名な店の志ば漬けとはまた違った味わいがあって私は好きですね。

オススメしたい逸品の一つです。

自家農園で栽培した紫蘇で漬けた無添加、安心して食べられる志ば漬です

三千院さんの参道にあるお店にはいつもできたての新鮮なお漬ものが並んで

また訪れる人も並んでいます。

完全無添加 本場大原の 赤志ば(小)

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三丁目の夕日は団塊世代【団塊シニアのタレントとシニアの未来】

三丁目の夕日の一平と淳之介は団塊世代の少年

三丁目の夕日の、一平も淳之介も小学校の高学年かなとイメージで団塊世代の少年です。

芥川賞を目指す茶川竜之介(吉岡秀隆)が生活のために書いている少年雑誌の冒険小説がこの年くらいから発売されたのです。

この時代、この種の雑誌が売られていたのが、茶川が経営(?)している駄菓子屋などだったようです。

私が小学6年位には、少年を言う月間誌だったのが、この年から週刊誌になったのです。

当時の駄菓子屋の姿は

営業時間は子供らが遊び歩く「日の出から日没まで」で、

その一方で商店がその家の居間と障子一枚隔てて隣接している事も多く、午後7時前後までは営業している場合もありました。

店そのものが住居との差異が不明確だったのである。

店先の精々3畳程度の土間には、商品陳列用の棚が設置されていたほか、店の中央に置かれた木箱の上にも、商品や菓子などの入った箱やビンなども見られ

それに天井から下げたフックに引っ掛けられて販売されている商品も少なくなかったようです。

三丁目の夕日の舞台となる茶川商店はそれを見事に再現していました。

茶川商店.jpg


店先につるされたクジとその景品、そのクジは小さな短冊状の紙で

1枚引いて水に浸すとスカとかアタリとか字が浮かぶ(あぶり出しの水版)

店主がスピードクジを作るという簡単なくじ引きで

そういえば私の町にもあった、記憶が帰ってきました。


一平の時代その路地の駄菓子屋が子供の社交場でもあったのですが、

少年習慣雑誌の登場、駄菓子屋で何か買えるおこずかいが親からもらえる時代が訪れたことが分かります。

三丁目の夕日の背景にいつも出てくる東京タワーの建築風景

だんだんそのタワーが高くなっていく姿は、

この時代が次第に経済的に豊かになっていくことを示しているのでしょう

一平や淳之介の団塊世代は私達が飢餓の少年時代をすごした時期を乗り越えて

それなりに豊かさを取り戻しつつある日本の状況と共にあったのです。

この映画の最後ごろの重要なストーリー

クリスマスプレゼントがサンタクロースにより子供達の枕元に置かれる

そんな時代が登場した、明日の豊かさが実感できる団塊世代の意識が形成される時代のポイントがそこにありました。

ラストシーンで東京タワーが完成して夕日に輝くシーンは


この後の日本の経済成長を指し示しているのです。

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団塊シニアのタレント

岩下志麻 心中天網島【団塊シニアのタレントとシニアの未来】

夫婦の近松映画  女優岩下志麻 監督篠田正浩

日本映画の1960年代は独立作品が結構ありました。

この映画もその一つで、当時の映画製作会社5社では、採算が取れないと絶対製作されなかったでしょう

心中天網島 1969年 ATG
監督 篠田 正浩

出演
岩下 志麻 中村 吉右衛門 小松 方正



近松門左衛門の同名原作を斬新な演出で映画化した篠田正浩監督初期の傑作。

紙屋治兵衛は女房子供のある身でありながら、遊女小春と深く馴染んでいた。

ついには妻子を捨て小春と情死しようかという治兵衛の入れ込みように・・・

『死にとうない。一緒になりたいだけや・・・』と涙し、狂ったように身体を求め合うシーンが、小春を刺し殺し、黒子の手助けによって治兵衛が首を吊るラストシーンを際立たせています。

近松浄瑠璃、

この映画がこの年のキネマ旬報で一番に評価されました。

この年ATG という5社以外で創られる映画が結構ありました。

監督 篠田 正浩 はこの時代の潮流「日本ヌーベルバーグ」の監督の一人

松竹に多く、大島渚、吉田喜重などと新企画映画に挑戦していました。

実験映画としてみましたが、エンタメとしては無理な感じでした。

リアリズムなのか幻想なのか

そんな谷間の表現だったように思いました。

この年の映画橋のない川 

男はつらいよ(第1作)

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団塊シニア古典映画情報

古典映画 飢餓海峡【団塊シニアのタレントとシニアの未来】

古典映画 「飢餓海峡」と「砂の女」は実験映画 

日本映画古典「砂の女」は実験的映画でした。

主人公岡田栄二は砂漠に新種のハンミョウを採集しに向かうが、砂漠の中の村で寡婦岸田今日子が住む家に滞在するように勧められる。

村の家は一軒一軒砂丘に掘られた蟻地獄の巣にも似た穴の底にあり、はしごでのみ地上と出入りできる。
一夜明けるとはしごが村人によって取り外され、主人公は女とともに穴の下に閉じ込められ奇妙な同居を始める。

村の家々は常に砂を穴の外に運び出さない限り砂に埋もれてしまうため人手を欲していた。

勅使河原宏監督の、結構難しい映画でした。
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あり地獄の男女が生活を見せることで、何を表現したかったのか。

今でもこの映画の意味が分かりかねています。ある意味スエデーデン映画を見るような違和感を感じました。

むしろこの年面白いと今でも思い出されるのは、

飢餓海峡 水上勉原作映画でした。


青函連絡船の転覆事故が発生した頃、北海道の岩内で質店一家の強盗放火殺人事件が発生していた。

連絡船事故の遺体収容にあたった函館警察の弓坂刑事は、身元不明の二つの死体がどこか別の場所から流れて来たものと推測する。

同じ頃、酌婦の杉戸八重は一夜を共にした犬飼という男から大金を渡された。犬飼は去ったものの、八重はその恩人への感謝に、大金を包んであった新聞と自分が貸して犬飼が使った安全剃刀を肌身につけて持っていた。

その後、弓坂が八重に不審な男について尋問するが、八重は犬飼をかばって何も話さなかった。

そして、八重は酌婦をやめて去っていき、行方はようとして知れなかった。 それから十年、八重は舞鶴で心中死体となって発見された。

東舞鶴警察の味村刑事が女の懐中から舞鶴のデンプン工場主樽見京一郎が、刑余更生事業資金に三千万円寄贈したという新聞の切り抜きを発見し、事件は急転する。

青函連絡船の転覆事故を題材にした、おもしろい推理映画で、ダイナミズムを感じる人間模様の映画でした。

樽見京一郎/犬飼多吉:三國連太郎
杉戸八重:左幸子
弓坂吉太郎刑事:伴淳三郎
味村時雄刑事:高倉健

これらの出演者の演技も見事で、三国錬太郎の犯人、伴淳(バンジュン)の刑事、健さん、そして左幸子の酌婦、深く暗く熱い人間模様の映画といえ、

この種の映画のエンターテインメントを開いたと思いました。

今でも充分、どきどきわくわく、歴史と時代を感じられる映画だと思います。

ぜひ見てください。

この年のほかの映画
赤い殺意

越後つついし親不知

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団塊シニアへ京都名物

京都名物おばんざい【団塊シニアのタレントとシニアの未来】

京都名産  おばんざい

 京都家庭料理 おばんざいは食べて心があたたかい

「おばんざい」の語源には諸説ありますが、「御番菜」と書くという説が一般的です。

「番」には、「番茶」や「番傘」と同じ意味合いで、「日常の」とか「そまつな」という意味があります。つまり、京都の家庭での日常の質素なおかずのことであり、高級な特別な料理という意味ではありません。

おばんざいは日常の家庭料理

でもおばんざいを食べさせるお店はたくさんあります。

家庭料理が、お料理になってお店に並ぶ時代になったんですね。

日常のお惣菜のことを京都では古くから「おばんざい」と呼んでいます。

どんなときでもご飯のまわりに2、3品はおかずを用意することからともいわれます。

いずれにせよ、旬のものを食卓にのせるということにも、食事のバランスを考えています。

 おばんざいの大きな特徴は、次のような点です。

●野菜を上手に使う

 野菜を筍の煮物・木の芽和え、揚げ出しナス、大根や蕪、カボチャの煮物、加茂ナスの田楽、トウガンの葛引き、どぼ漬けなど

●新鮮な魚に代わる食材の組み合わせ

 干物や塩蔵品、大豆などのたんぱく質・脂肪質の多い食品と野菜を、栄養的にも味の面でも上手に組み合わせています。

その組み合わせ、アンサンブルの妙「おばんざい」

というのが京都料理の妙です


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