三丁目の夕日ですごく印象的なシーンがあります。
淳之介は学校で一平や同級生から「ガリベンめ」といわれて作文を取り上げられ
一平がそれを読むシーンが印象的なのです。
そこには、淳之介が描いた未来の日本があり
空中の高速道路を自動車や電車が縦横に走っている想像の世界がありました。
私が鉄腕アトムで見た、手塚治の巣像の世界とまったく同じでしたが・・・
淳之介が空想した作文のアイディアを茶川がパクッテ(盗作)して出版社に送ってしまい、それが雑誌に掲載された出来事です。
茶川が盗作を認め、原稿料を渡そうとするのですが、
そのことを淳之介はとても喜び、掲載されたことを茶川の小説だと尊敬するのです。

鉄腕アトム 手塚治虫/作
昭和30年代、団塊の世代はまだ子供でしたが、私の世代(高校生)より上の世代は具体的に未来の日本を夢見ていたのでした。
1970年(昭和45年)大阪万博が開かれたとき、淳之介の描いた未来は確かな手ごたえで現実のものになりつつありました。
その足音の予言的象徴として三丁目の夕日が描く東京タワーがあったのです。
団塊の世代の一平にも淳之介にも未来の日本の豊かな発展が感じられる幸せが待ち受けているいると感じたのでしょう。
一平も淳之介もこの映画の後日談として語るなら、
この団塊の世代独特の、圧倒的に人数の多い競争に対して
教室も足りない先生も足りない中、むしろ一番学習したのはこの世代の特徴でもありました。
先日、日本の子供の学力低下がはっきりデーターで出ましたが、
この世代はないないづくしの中懸命に学習したのです。
そして職場こそ自分の未来として働き、世界の2番目に経済の豊かな日本を作り上げたのでした。
1960年代になって
1962年には、講談社が週刊少年マガジンと月刊なかよしから、マンガ雑誌の週刊少女フレンドを発刊、
翌63年には、月刊りぼんを出していた集英社が、これを総合雑誌週刊マーガレット
これによって、少女誌も週刊時代に突入するが、少年誌同様のベテランマンガ家だけでなく、
読者の感覚に近い若手を積極的にスポ根企画ものなどに登用し、テレビアニメ路線を拡大した。
すなわち、1968年には、集英社が週刊の少年ジャンプを創刊し、マーガレット同様の若手登用と、徹底した読者アンケートによるサドンデス方式を採り、永井豪や本宮ひろ志などの多くの戦後第二世代マンガ家がテレビアニメに対して雑誌社の主導権を握る。
なかでも、原爆の悲惨さを描いた『はだしのゲン』は、異色作でした。
この世に少年少女は漫画とアニメ文化の真っ只中に入っていきます。
活字より、直接的な漫画アニメでの志向回路が出来上がっていくのです。
三丁目の夕日も原作は漫画ですし、漫画又は劇画の世界から映画化される今日的状況はこの時代に基礎が築かれたといえますね。
アニメは団塊世代が導き、特殊な文化を創造したといえなくもないでしょう。

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